障害は原因論では解決しない

 前回、理学療法士がエビデンスをもとに評価・治療を行なう限界についてお話ししました。今ではart&scienceと言われるように、経験や技術も加味したエビデンス治療が謳われるようになってきました。やはり技術職なのですね、ただ現在の保険診療では理学療法士の経験は加味されておりません。理学療法士1年目が治療しても10年目が治療しても、料金は同じなのです。理学療法を取り巻く環境や考え方がパラダイムシフトを迎えている状況ですが、現在の医療保険制度では歩み寄る術がご存知のようにありません。(財政難)これに対して不満があるのではありません。パラダイムシフトを迎えていようが、実際に患者さんに必要とされていなければ淘汰されていく時代なのです。

 前回のブログの話に戻りますが、理学療法士は理学療法士法に基づきDrの指示のもと、理学療法を行うと明記されています。Drは原因論に基づき、「Aという悪い状態はBによって引き起こされた。よってA-B=C(改善)をする。」という仮説を立てて、治療をエビデンスに基づき実践するのです。理学療法士も同様な展開で治療を組み立てようとしますが、AとBの間には人によって定数の異なるXが介在しています。つまり意思や感情です。A-X-B=C?となるわけです。つまり原因論ではある程度まで答えを導きだせますが、患者さんは治療により以前と同じ状態を求めているのです。(以前ブログでお話ししました。)つまり治療に対して満足が得られない状況が起きてしまうのです。これが理学療法士が社会的認知が深まっていかない原因と考えます。

このXという意思や感情については、個人心理学から人そのものの理解が必要です。心理学者であり哲学者であるアドラーさんは以下のような考えを示しました。引きこもりの少年がいたとします。その少年の先生は引きこもりを正すために引きこもりの原因を聞き出し、いじめにあっていたということであれば、それに対して対処するでしょう。しかしそれは原因論にたった考え方です。そうではなく、まず引きこもりをするという少年の目的があって、それを達成するためにいじめにあったという理由をつけているとアドラーは説きました。つまり目的論にたった考え方です。この考えには賛否あると思いますが、理学療法においても同様に考え方のパラダイムシフトが必要です。つまり原因論から目的論(全体論)への切り替えです。

治療においての重要な要素として、治療者の一貫した姿勢(考え方含む)があると思います。Drや薬剤師さんは構造的問題や検査値の改善を目的とするため、手術や服薬治療をエビデンスに基づき展開すると思います。経過・結果を予想し、患者さん自身も治療前の状態と治療後の状態の差異を共有できます。治ったかの判断は画像や検査数値で行えます。例え患者さんが治療後も不調であったとしても、構造的問題や検査値が改善していれば状態は改善していると伝えることが出来ます。患者さんは命には別状ないことに安心するとともに生活復帰し、徐々に以前の状態に回復していくことが想像できます。もちろん違う病気が関わっていたとも考えられますが…。

つまり病気の回復過程には精神的なモチベーションが深く関わってきます。理学療法士において原因論に立脚してしまうと、患者さんが良い結果になったとしても悪い結果になったとしても、患者さん自身が病前との比較対象となるものがありません。病前の、調子の良かった時の、ぼんやりとした状態とを比較することになります。これでは理学療法というサービスに満足を得られるはずがありません。患者さんの意思や感情であるXを定数化し、患者さんの到達すべき答えを導きだす必要があるのです。

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